ついに2020年、東京オリンピックが近づいてきました。

毎日アスリートを診療する私にとってもこれは4年に一度の大きなイベントで自分のお手伝いするアスリートがオリンピックへ行けるかどうかのドラマを見守る毎日が続くのです。

しかし、今回の東京オリンピックでは少し様子が違います。

数ヶ月前に受け取った一本の電話、アメリカオリンピックセンターの医療主任からの直接連絡でした。

『東京にチームと一緒にいかないか?』

彼の一言を聞いた瞬間に過去7年間の苦労が走馬灯の様に蘇ります。

私自身が自分の診療するアスリートよりも先に自分が東京へのチケットを手に入れた瞬間でした。

2020年現在から遡ること7年、2013年の9月7日に東京オリンピックはブエノスアイレスで決定しました。

今でも鮮明に覚えていますが、私はその日ジョージア州のアトランタで、スポーツ医学のセミナーを受けていました。

何気なく座って食事をしていると隣に座ったのはアメリカオリンピック委員会の医療主任。セミナーのメイン講師です。

目の前のテレビののニュースから”TOKYO” のアナウンスが響きます。

おお!日本でオリンピックか!と思った直後に直感的に感じたことは

『これは行けるかも』でした。

過去10年間ほど、トップのスポーツカイロプラクター等が、アメリカ オリンピック委員会の医療を牽引し、毎回数名がチームドクターとして五輪帯同していました。誰もが知るオリンピックにアメリカチームのドクターとして帯同は業界最高峰、TEAM USAは世界最強なので、世界のスポーツ医学でトップに立つ事を意味します。

しかしながらこれは業界のトップ数人のみに開く『狭き門』で考えたこともありませんでした。自分よりも経験のある私の恩師にあたる方達が何人もこの狭き門に立ち向かう姿を見てきたからです。しかし日本で開催となれば日本語が話せることは多少のプラスになるはずと思ったのです。

ダメ元で聞いてみようと思い、横に座っているドクターに話しかけます。

『2020年に僕がチームドクターとしてTEAM USAに引率できると思いますか?』

彼は驚きもせずに落ち着いた口調で Well… と話始めました。

『7年もあるからね。実力があれば誰にでもチャンスはあるよ。まだ時間もあるし、頑張ったら』

真剣度合いは分りませんがかなり『軽いノリ』のセリフが戻ってきました。

その瞬間から本腰をいれた私のオリンピックへ向けての道が始まったのです。

蓋をあけてみればこの『狭き門』は一人か二人にしか開かない門でした。東京五輪にTEAM USAからオリンピックに帯同するスポーツ カイロプラクターは常駐の医師を除いた外部からは、私一人です。

また4週間の帯同なので、その間自分のクリニックをサボって海外に出かけられる人にしか務まりません。私もクリニックを開業以来、こんなに長い間ニューヨークから離れたことがありませんが人生に一度の機会と思い帯同を決意しました。

そんなことで今年の夏は7月15日から8月9日までTEAM UAS、アメリカオリンピック委員会に帯同して、スポーツ医学のドクターとしてチームのお手伝いをしてきます。

前回のパンアメリカン競技大会も素晴らしいアスリートとの出会いでしたが、今回はなんと全員がオリンピック選手、オリンピアン、しかも世界最強アメリカ代表選手。

この経験はきっと自分の人生でもハイライトになる経験で『プライスレス』と思っています。

長い間クリニックに足を運んでくださる皆様には長いお休みが続き、大変ご迷惑をおかけいたしますが、ご理解いただければ幸いです。

クリニックではこんな報告話を時々するのですが

『どうしてオリンピック委員会から声がかかったのですか?』

と聞かれることが多いです。

アメリカのオリンピック委員会からなぜ日本育ちの私にわざわざ声がかかったのかと疑問に思う方が多いのは当然です。

いつも『運が良かったです』と答えて会話は終わりますが、もう少ししっかりと興味を持たれた方には主な7年間の道のりを話すこともあります。

今回はそんなお話を書いてみようと思います。

アメリカでオリンピックの医療に関わるには大きく分けて2つのパターンしかありません。恐らく他の国でも同じと思います。(現地のボランティアは別ですが、あくまでもその国のチームに帯同する話です)

  • それぞれの競技で雇われ、そのチームが五輪に参加すれば一緒に参加する。

  • 全てを総括するオリンピック委員会に呼ばれる。

私も東京五輪が決まった際にはまず1のパターンで特定のチームと仕事をしながらそのチームの五輪行きの夢をお手伝いし、それに便乗しようかと思っておりました。東京オリンピックには33の競技が開催されるのでこの33のどれかに帯同できれば五輪行き決定です。

私の友人ドクターもも何人かこのルートで東京に参加するので、現地で盛り上がるはずです。また柔道や空手など、日本で合宿を行うチームであれば、日本語の能力も役に立ちますし、私もやっていたスポーツなのでチームにも入り込みやすいと言えます。しかしながらこれは一つのスポーツを熟知して、そればかりを診療する能力を鍛える必要があります。そのスポーツの怪我に特化したドクターになってしまうのです。

私の将来のゴールはトップのスポーツ医学を日々の診療に生かすこと。

またそれらを一般の方へ提供することでしたので、オールマイティに様々なスポーツや怪我を診療するオリンピック委員会からのルートに焦点を絞ることにしました。

その方向で学び、ボランティアを行えばオリンピックに関係なく自分の力と将来への投資になると思ったからです。

またチームの医療とは違いますが、今回は日本での開催なので日本国内では様々なボランティアの方が交通整理から、通訳、マッサージ、理学療法、鍼などの参加をされるかと思います。運が良ければ開催国の恩恵で、日本の方はオリンピックに関わるチャンスがあるのです。

大会ボランティアは18万人の応募あったことからも多くの方が関心を持たれていることがわかります。

私の場合はあくまでもTEAM USAの帯同なので、この現地ボランティアとは全く別の関わり方です。

さて1のアメリカオリンピック委員会(TEAM USA)から帯同するには、カイロプラクティック国家資格は当然ですがその後に2つのスポーツ医学に関わる認定資格を習得することから始まります。

そもそもこの『カイロプラクティック』ですが、アメリカで始まった手技療法の専門医で、『カイロ』『プラクティック』とはギリシャ語の『手』と『プラクティス=診療』をする医師の意味で、日本ではこの国家資格、ライセンスなどは存在しません。ですので、『鍼灸、接骨院、整体』の方が日本の方には馴染みがあるのは当然と言えます。

間違えられる方が多いですが、カイロプラクティックは東洋医学ではありません。

レントゲン、MRI,血液検査など一派に日本の病院で行う検査も行いますし、診断、診療も西洋医学のベースです。ただ治療法、診療を手を使って行うことが多いのです。

手の治療、薬、注射を使わない=東洋医学 と勘違いする方も見えますが、そうではないのです。

さてこのカイロプラクティックの資格は理系の大学を卒業後に4年間の卒後大学教育を受けて、5回の国家試験に合格し、開業する州の試験に合格して習得することができます。

これが基礎の資格で最低限所持しないと開業することもカイロプラクターとして働くこともできません。

その後、スポーツ医学を志すのであれば数年間の後に特定数のセミナーを受けてテストに合格すれば、 CCSP(Certified Chiropractic Sports Physician)の資格を習得することができます。

これが最低限ないと、スポーツ現場でもオリンピック関係のボランティアも実質不可能と言え、スポーツ医学の入門資格と言えます。現在全米で4000人程度のドクターがこれを所持しています。

その後、また別のセミナーを受け、100時間のスポーツ現場ボランティア、実技試験、筆記試験に論文、症例報告が認められると (DACBSP (DIPLOMATE OF THE AMERICAN CHIROPRACTIC BOARD OF SPORTS PHYSICIANS® )を習得することができます。

これを所持するドクターが全米に400人程度なのですが、基本的にこれを所持していないとアメリカチーム関係の大きなイベント、スポーツの現場から声をかけられることは皆無です。

そこから通常は2週間のボランティアをコロラドのオリンピックセンターで行い、成果が認められると再度声をかけていただけます。

そしてそこからは小さな大会に呼ばれ、大きな大会

そしてTEAM USAに帯同して海外へ遠征。

これが私にとってはパンアメリカン競技大会でした。

この大会は日本で言う、アジア大会の様なもので、アメリカ大陸ではオリンピックの次に大きな大会です。

この大会でチームに認められればオリンピックへの道が開けるのです。

書きながら思い出すだけでまた気が遠くなってきますが、

これが私の通ったオリンピックまでの道筋でした。

改めて考えて結論をだすと、世界最強チーム TEAM USAに帯同のオファーを頂けた理由はズバリ

運。

開催国が日本、私のキャリアが揃ったタイミング、たまたまの人間関係などなど、運のなせる技が揃い過ぎです。

大会への参加には申し込みなどなく、相手から声をかけて頂くしかありませんので、これを引き寄せる『運』が大切なのです(笑)。

ここまで読んでくださった方は相当なお暇な方か、オリンピック医療に興味を持たれた方でしょう。ありがとうございました。

最後に書籍には何度か書いたのですが、スポーツ医学を学べば学ぶほど、睡眠、食事、運動の大切さがわかり、カラダを壊さずにメンテナンスすることの大切さを知ってしまいました。

私自身、現在42歳ですが、これらを学びながらの実践で自分自身の健康状態も最も高い状態を維持しています。

そんな知識を皆様にお届けしてすこしでも皆様が元気な状態で楽しい人生を送る事ができればと思っております。